■シャーマンの儀式 (Ceremonia de Taita)

2004/2/14 @ Bogota, Colombia


コロンビアのプトゥマヨ県にはシャーマンがいて古代から続く不思議な儀式をやっているんだ、という噂話が妙に心をつかんで放さなかった。友達の友達のイタリア人がそっち方面に詳しいと聞き、早速会いに行った。一見普通のおっさんで、もう50歳くらいなのだけど、かなりのフリークで既に10回以上体験しているらしい。話を聞くと、なんと月末にプトゥマヨのジャングルからシャーマンがボゴタ近郊に来るとのこと。儀式の前は一週間くらいはなるべく肉類は食べず、直前の三日間はフルーツ類のみで炭酸飲料やアルコールは控えて心と体の準備を、と言われる。でも酒も肉も大好きな俗者なので普通に自堕落な生活を送って当日を迎えた。

コロンビア人の友達2人とアメリカ女と俺の4人でボゴタから車で1時間ほどの田舎町に向かう。のんびりとした農場が広がる集落の外れの山の斜面にある別荘に到着。参加者は25人くらいで大学生風グループから老夫婦まで年齢層は幅広い。シャーマン(コロンビアではタイタもしくはチャマンという)とその補助者3人はインディヘナの服と首飾り、足飾りで正装。夜8時ごろ、全員広間に集められ、シャーマンの話が始まる。プトゥマヨの何万年も続くインディヘナ文化、儀式の意義、なにが起こっても心配することはない、などの心構え。つづいてお祈り。

シャーマンは「ヤヘー」という茶色のドロドロした液体を壺からうやうやしくとりだすと、まずはジャングルの葉っぱで作った扇子で宙を仰ぎ、呪文を唱え、お祓いとお祈り。別の器に入れ替え、水と混ぜ、適度に薄まったところでまたお祈り。ココナッツのような木の実を輪切りにしたコップに丁寧につぐ。一列に並び、女性から一人づつ順番に飲む。女性が全員飲み終わる。みんな口数少なく静かで何かがおこりそうな雰囲気だ。続いて男。友達に最前列にグイッと押し出され、男で一番初めに飲むことに。葉っぱの扇子を手に持ったシャーマンが、お祈り、名前を復唱、お祓い。そして目で合図されると同時に、グイッと一気に飲む。ほんのり苦くてドロッとしてる。飲めないことはないけどうまい飲み物ではない。南米の地酒チッチャのような舌触り。全員が飲み終わった後に最後にシャーマンも飲む。

どうなんだろうなぁ、とワクワクしながらとりあえず持参の寝袋に横になり、効いてくるのを待つ。ボゴタの夜は冷え込むので結構寒い。星が全開に見える出窓のテラスに陣取っているのでセッティングは完璧だ。とりとめのない話をしていて(飲んでから30分後ぐらい?)ふと気づくと視界に電気が走り、全てのものが七色に輝いて見えてきた。キタかぁ!と思うと、にやにやと笑いがこみ上げてくる。友達に、「どう?」と聞くと、「うーん、まだかなぁ」との答え。「光ってきてない?」などといいつつ、気づくとムチャクチャな状況に!

ファサファサファサ、カサカサカサ、シャーシャー、パタパタパタ、パリョパリョパリョ・・・・と鳥か虫が飛び回っているような気配のムズがゆく全身をくすぐるような不思議な音が体の周りを取り囲んだ。プトゥマヨのジャングルの中にいるような錯覚に陥り、周囲を見廻しても光の渦ばかり、どこから聞こえていくるのか、と思っているとシャーマンの背中が視界にあらわれた。おー、シャーマンだぁ、と認識した瞬間、光の渦の中にヒョウが舞っている。

ピカピカ光って使い物にならない目を凝らしてよーく観ると、シャーマンが手にした葉の扇子と、木の実の房の首飾り、足輪が踊りと共にシャンシャンと音を立てながら、この世のものとは思えない絶妙のハーモニーで五感に迫ってきているらしいということがわかった(気がした?)。うっとりと軽快な踊りにみとれながら、全精神が解放され、腰が軽くなり宙に浮くような幸せを噛みしめる。

するとマジックマッシュルームを食べたときのような胃が痙攣するような吐き気がおそってきた。ふと気づくと、部屋の中に「ウーッ」、「アァゥー」、「ゲェェーッ」という地獄の苦しみの叫びがこだましている。儀式開始前にビニール袋を一袋づつ配られたのだけどやっとその意味が分かった。おれは地獄には行かない、と精神を奮い立たせる。吐き気だけじゃなくて肛門までゆるんできて中身がコンニチワしそうな気配だ。立ち上がり、また座り直し、体を楽にして瞑想の姿勢をとる。地獄の叫び声が徐々に遠ざかる。深く閉じたまぶたの奥には七色の虹がグルグルと輪を描き、幾何学模様が次から次へと展開していく。

「どんなかんじ?」との声に呼び戻され、ゆっくりと目を開けるとシャーマンがいた。「とてもおだやかな気分だよ」というと、「それはよかった。何があっても大丈夫、リラックスして気楽にね」「吐き気がしたら我慢せず、悪いものは全部だしたほうがいい。それが心と体を浄化するのだから」「とにかく全ての状況を受け入れること」そういって飛ぶようにシャーマンは視界から去っていった。

その言葉で何だか気持ちが楽になった。「吐くのは良いことなのか」とさっきの吐き気に思いをめぐらすと、また胃が逆流しはじめた。こんどはビニール袋を手に取る。友達の手前ちょっと恥じらいつつ、強力な吐き気と戦いながらも、やっぱり吐く。そして死ぬほど吐く。出てくるものは茶色い液体。周りを見れば、そこらじゅうで吐いてるやつらばかり、地獄のゲロ大会だ!友達は吐きながら悲しそうにシクシクと泣いている。

シャーマンがギターを取り出しスローな音を弾き始めた。生き地獄に天から響くうっとりとするような甘い音階。音霊が宿ったかのような響きに惹きこまれる。流れるように歌がはじまった。情熱的で、せつなく、魂のこもった歌声が全身に響く。自分の中でなにかがリセットされる。再び天国に向けて上り始めた内面世界のパワーを感じる。自然に笑みがこぼれる。また踊りだす。

シャーマンを中心に車座になって何人かが座っている。シャーマンはみんなにいろんな話をとりとめもなくする。人について、世の中について、ヤヘーについて、シャーマンについて、旅について、ジャングルについて、などなど。みんな笑ったり、反論したり、質問したり、納得したり。なんで一緒にヤヘーを飲んだシャーマンがあんなに普通に話をしたり、ギターを弾いたり、歌ったり、踊ったりできるのか不思議でしょうがない。みんなが気持ちよく旅ができるように、とても自然でツボをつかんだ導きっぷりには感服した。おれなんか自分だけの強力なヤヘー世界の舵取りで精一杯だっていうのに!

シャーマンの補助者が踊りながらやってきた。木の実の首輪と足輪から涼しげな虫の羽音を鳴らしながら。ウインクしながら一生懸命何かを訴えているのだけれど、何を言っているのかサッパリわからない。自分でも何を質問しているのかわからない。かみ合っているようでかみ合っていない会話が永遠と続く。彼はまだシャーマンにはなれないと直感した。友達はいっぱいいっぱいで斜め後ろを向いてしまった。おれももうおなかいっぱいだ。握手してぎこちない笑いで退散してもらおうと思ったら手を強く握り返され目を射抜かれてしまった。彼はまた居座って強力電波発信再開・・・。

葉っぱの扇子をパタパタさせながらシャーマンがやってきた。「もうすこしヤヘーを飲みたいか?」と聞いてきた。「うーん、もう十分ぶっとんでるからいらない」と精一杯の言葉にならない言葉をしぼりだすと、ニコッと笑ってまたどっかに飛んでいった。目を静かに閉じ、七色の世界に身を任せると、いろんな人、言葉、音、物、動物、思い出、想像世界、とにかく何もかもがイメージとして湧き上がっては消えていく。人生が走馬灯のように、というのはこういうことか。

目を開け気づくと朝。真っ暗な星空が青白くなっている。地平線に目をやるとブニョブニョと陽炎のように電気が走っている。断続的に襲ってきていた吐き気はもうなく、なんだか晴れやかな気分だ。しかしまだぶっ飛んでるのか!と自分にあきれる。夜の8時ごろからだから、もうかれこれ10時間以上もこんな調子。太陽がゆっくりと昇っていく。完全に明るくなった頃、シャーマンがみんなを大広間に集める。最後に全員で儀式終了のお祈り。これは現実世界に確実に戻るための大事な幕引きらしい。

外に出て背伸び。ひんやりとした早朝の空気を深呼吸。森を見ながらゆっくりとタバコを吸う。そういえば昨晩は一本も吸ってなかった。タバコどころじゃなかったわけだ。目の前をのんびりとあくびしながら横切るシラフな野良ネコに現実に引き戻される。この音速だけど濃すぎる出来事はなんだったんだろうか・・・。

頭の中を空っぽにして寝たその翌日も不思議だった。ハードトリップの後にありがちな二日酔いも、頭痛も、ダルさもなく、心も体も妙にスッキリ。そんな爽快な気持ちが3日間ほど続いた。自分の場合はそれで元に戻ったのだけれど、友達の一人はその後、「酒を体がうけつけなくなった」らしい。実際、体質が完全に変わったみたいで以前のように飲んでいるのをその後、見た事がない。参加者のうちのベテラン夫婦は「何か心に迷いごとがあるときに儀式に参加すると、内面の深いところを見つめなおすことによって道が見える」とも言っていた。ボゴタへの帰りの車中で全員一致で共通した点は「最高!いつかまた機会があったら体験したい。でももうとうぶんはいいかな・・・」











※「ヤヘー」とはプトゥマヨ県のアマゾン方面のジャングルでとれるツタ植物の茎とその他、薬草数種類を混ぜて作った液体。どの植物と、どの薬草をどれくらいで混合するかは代々のシャーマンに秘伝で伝わる。シャーマンと共にヤヘー飲んで精神世界を旅する、というこのコロンビアのインディヘナ儀式は、メキシコやエクアドールではペイヨーテのようなサボテンを使って行われている。そういう意味ではこの儀式は古代から21世紀にまで引き継がれているアメリカ大陸に共通する一種の裏祭りか。一方、我が日本昔話でも、山で道に迷って小人と笑いキノコを食べてはしゃいだ、なんていうのもある。世界中どこでもかつては、自然の中にあるサイケデリックな植物を見つけ出してはナチュラルに楽しんでいたわけだ。

Buen Viaje!!











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